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2006年3月18日(土)開催、ポエトリーリーディングライブの告知ブログ。
by aday0522
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あたりまえのこと(さとむね)
 当たり前のことってなんだろう?考えると眠れなくなる。こうやって眠くなることも当たり前の事だろうか。でも、当たり前はなかなかムズカシイ。日常には結構たくさんの当たり前じゃない事が当たり前の顔をして潜んでいるから余計に難しくなる。頭のいい友人に質問したら「当たり前は相対的なもんなんなだよ」だって。でも、本当にそうだろうか、ある場合には当たり前が当たり前じゃなくなるのだろうか?

 僕は朝起きて、うんちをして、ご飯を食べて、仕事をして、セックスして、眠る。これは当たり前のこと。でも、これはある場合に当たり前じゃなくなるのか。確かに、そんなこともあるだろう。でも、やっぱりちょっと違うと思う。これは当たり前でなければならない事なんだ、と。そういうことを言うと「それが常識の罠なんだ」と言われた。でも、それが当たり前じゃなくなる世界に僕は住みたくないな。例え、それが当たり前じゃない環境になっても、それを「当たり前だ!」と言い張れるよう、今のうちに腕立て伏せをたくさんしておこうと思った。

 でも、詩を書く事はこれはもう、全然当たり前じゃない。それは当たり前じゃない度でいうと、うーんと、10点満点。詩を書く事を当たり前のことにしてしまったら、きっと、頭が変になる。詩を書く作業、これは、お祭り騒ぎ。「花が咲く」と書いたら頭の中に花が咲く。書き間違えて「鼻が咲く」と書いたら鼻も咲く。時間を超えたり生死を超越したり、なんでもあり。こんなことを当たり前にしちゃいけません。でも、詩には、私たちを本当の当たり前に引き戻してくれる力があると思う。

 アーティストになりたいと思った頃がある。今はそれをとんでもないことだと思う。今はなにになりたいかというと生活者になりたい。始めは絵描きになりたいと思った。なぜか、それで、生活できるようになった。でも、それも普通の日常に違いなかった。朝起きて、仕事して寝る。たくさんのルールとたくさんの心配事に囲まれることには変わりない。役者にも挑戦した、先生にも挑戦した。でも、心配する事は一緒だった。夢もそこに立てばそれは現実なのねということ。だから僕は「夢」という言葉が嫌い。そんなものを追いかけて、精神的に磨り減るなら、日常を楽しむ努力を優先したい。

あたりまえのこと(さとむね)_d0018729_1305269.jpg 「ピアニストを撃て」という映画が好きだった。アーティストは特別な存在じゃない。ピアニストも戦いの中で撃たれる場所になければ、いい演奏が出来ない。撃たれないピアニストには表現するべきものはなにもない!というような映画。僕は撃たれたくはないけれど、どっぷりと日常に浸かって、日常を正しい場所に戻せるような作品が作れたら良いなと思う。奇人なアーティストたちは今すぐ、平和な日常に帰った方がいい。健康のためにもそうしたほうがいい。僕には水晶の悲しみや、魚の祭りの楽しさはわからないけど、吊り輪にしがみつくおじさんたちの腕力の悲哀や、おじさんたちが夢見る火星の楽しさはよく分かるような気がする。
by aday0522 | 2005-04-06 01:20 | 東京公演-さとむね
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